2007年02月24日
私のホッケー観
剣道少年の厳しい先生の訓 より ― 勝ってから打て 編 ―
先生の剣道指導も、習い始めの ” 正しい基本打ち ”
そして ” 相手より速く打つ ” というものから
中学になると
” 勝ってから打つ ”
稽古へと変わってきた。
しばらくの間は、その意味がわからなかったことを憶えている。
” 勝ってから打つ ” 簡単にいえば 「自分の構えを崩さず、 相手の気持ち・構えを崩し、完全に攻め勝った後に 打突する」 というものだ。
ただ竹刀を振りまわして、当たった 当たらないは
チャンバラごっこ であり、剣道ではない。
剣道で 真に勝負するところは (面白いのは)、
お互いが、構える前から構えての ” 打つ前の 攻めぎ合い ” にある。
誤解を恐れずに言うと、
打つことなんか どうでもいいのだ。
勝ってから打つ!
私のホッケー観も そこにある。
九州の後輩からもらった、大切な博多人形
バクチャンにも、こんなに凛々しい頃があったのだろうか・・・
先生の剣道指導も、習い始めの ” 正しい基本打ち ”
そして ” 相手より速く打つ ” というものから
中学になると
” 勝ってから打つ ”
稽古へと変わってきた。
しばらくの間は、その意味がわからなかったことを憶えている。
” 勝ってから打つ ” 簡単にいえば 「自分の構えを崩さず、 相手の気持ち・構えを崩し、完全に攻め勝った後に 打突する」 というものだ。
ただ竹刀を振りまわして、当たった 当たらないは
チャンバラごっこ であり、剣道ではない。
剣道で 真に勝負するところは (面白いのは)、
お互いが、構える前から構えての ” 打つ前の 攻めぎ合い ” にある。
誤解を恐れずに言うと、
打つことなんか どうでもいいのだ。
勝ってから打つ!
私のホッケー観も そこにある。
九州の後輩からもらった、大切な博多人形
バクチャンにも、こんなに凛々しい頃があったのだろうか・・・
この記事へのトラックバックURL
この記事へのコメント
まさしく同感です。
相手が強くても弱くても、自らの心が弱気であれば武道でいう「形」は乱れます。
ホッケー道でも「負けるかな?」という気持ちが芽生えたら必ず「負けます」
試合に負けて、己に負けてその後は自分を自ら慰める・諦める弱い心が何事にも「勝てない自分」を造り上げます。
武道に見る精神力、勉強しなければなりません。
礼に始まり、礼に終わることも同時に。
相手が強くても弱くても、自らの心が弱気であれば武道でいう「形」は乱れます。
ホッケー道でも「負けるかな?」という気持ちが芽生えたら必ず「負けます」
試合に負けて、己に負けてその後は自分を自ら慰める・諦める弱い心が何事にも「勝てない自分」を造り上げます。
武道に見る精神力、勉強しなければなりません。
礼に始まり、礼に終わることも同時に。
Posted by ランドル 林 at 2007年09月27日 09:40
武士道でいうところの 『葉隠れ』 の精神ですな。
” 武士道とは 死ぬ事と 見つけたり ”
「生死」は大袈裟ですが、死(負け)をも恐れず、無心に全力を尽くす。
自分は何かと言い訳をするくせに、子供が言い訳をすると 無性に腹が立つ
一生涯 修行ですね・・・
礼に始まり、礼に終わる。
こりゃーランドル殿に、痛いところを衝かれましたな。。。
” 武士道とは 死ぬ事と 見つけたり ”
「生死」は大袈裟ですが、死(負け)をも恐れず、無心に全力を尽くす。
自分は何かと言い訳をするくせに、子供が言い訳をすると 無性に腹が立つ
一生涯 修行ですね・・・
礼に始まり、礼に終わる。
こりゃーランドル殿に、痛いところを衝かれましたな。。。
Posted by なるほどバクチャン at 2007年09月27日 20:49